ラルフ・ヒュッター、クラフトワークの音楽を語る (1/4)

09 February 2013  |  Tags: Kraftwerk, Ralf Huetter

「Red Bull Music Academy」サイトの2012年8月の記事より。インタビューそのものは1991年、「The Mix」のリリースに合わせて行われたものが、なぜか2010年まで公表されなかったとのこと。

→ Red Bull Music Academy - Interview: Kraftwerk


シュトックハウゼンの教えを受けたり、または影響を受けたりしたんですか?

  • いや、中産階級にありがちな教育を受けただけだ。ピアノの練習とかフルートの練習とか。その後、音楽院で即興演奏のコースを取った。そこでたまたまフローリアン・シュナイダー (クラフトワークをヒュッターと作った) に出会ったんだ。当時、デュッセルドルフには他にそういう人間はいなかった。

あなた方は言語の問題をクリアして、ドイツ発のポピュラー音楽を、アメリカの影響の下でうまく作り出したと思いますが、ドイツ人としてのアイデンティティは大切ですか?

  • もちろんだ。我々はデュッセルドルフの出身で、そこはドイツの工業の中心地だ。そこから外に移るなど、考えたこともない。「Trans Europe Express」のアルバムやビデオにも、強く現れてるだろう。そういうところにいるのが落ち着くんだよ。

大戦後のドイツで、あなた方は音楽をゼロから始めなければならなかったと言っていいですか?

  • 我々が始めた頃は、ショック、サイレンス、そんな状況だった。自分たちはどこにいる? どこでもない。19世紀にはクラシック音楽があった。20世紀には何がある? 何もない。何のお手本もない。何の伝統もない。1950年代から60年代ずっと、何もかもがアメリカナイズされた消費指向だった。そこに例の1968年のムーブメントだ (反戦、学生運動、ヒッピー、サイケなどの言葉で表される動きのこと)。我々もあの一部だよ。急に色々な可能性が開けて、色々なアートの形が出てきた。我々は音楽でやっていくことにして、ドイツのインダストリアルな音楽を確立することを始めたんだ。そして、Kling Klangスタジオを作った。ドイツ語で「Klang」は音って意味、「Kling」は響くって動詞だ。つまり、音を作るってことで、それに我々はエレクトロニクスを大きく取り入れた。当時、ラジオでシュトックハウゼンとか、エレクトロニクスやテープ録音を使った新しい音楽が流れるようになってきていて、ただ、自分たちは若い世代であって、趣きが違う。

いきなりシュトックハウゼンときたか。電子音楽の創始者だから、それも無理ないだろうけど。

続く ›



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