リッチー・ブラックモア、1991年のインタビュー (まとめ)
このインタビュー、2012年3月に幾つか面白い箇所を断片的に抜き出しただけだったので、全体を一つにまとめて再構成した。「Guitar World」誌の1991年2月号の記事が2011年頃にウェブに転載されたもの。「Slaves and Masters」リリース直後のインタビューになる。
→ Guitar World | Deep Purple's Ritchie Blackmore Discusses His Development as a Guitarist
(インタビューした記者の前書き)
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ホテルのロビーでリッチー・ブラックモアを待っている間、編集長と私は少しビクビクしていた。彼の短気さとマスコミ嫌いは伝説的だったし、さらに悪いことに、彼に近しい人から「奴ぁヤバいぜ」と警告されていたせいもある。レコーダーがちゃんと動くかチェックしていると、嫌な妄想が繰り返し私の脳裏を横切るのだった。 — インタビュー開始。最初の質問をする。「今回のディープ・パープルはこれまでとどう違いますか?」。ブラックモアは私をにらみつけ、怒りで顔が見る見る紅潮していく。「よくもそんなことが聞けるな」。彼は怒鳴る。「これでもくらえ!」。そして、白いストラトで私の脳天を殴りつけ、ストラトは粉々に砕け散る。彼は怒り狂ったまま、大股で出て行く。インタビュー終了。 — 実際にはそんな恐ろしいことはしないだろう、と自分に言い聞かせて気を静めようとするが、ある記憶がよみがえる。彼は若い頃、走っている車から通行人、特に車椅子の老婦人に、小麦粉の詰まった袋や卵やトマトを投げつけるという立派な趣味を持っていたのだった。
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そうこうしている内に、ブラックモアの都合がついたと、彼の側近が伝えてきた。彼は例によって黒で決めて、白いシャツを着ている。手を差し出すと握手してくれて、これは良いサインかも、と私は思った。「始めてよろしいでしょうか」と聞くと、彼はうなずいたが、最初の質問を発するより先に、レコーダーを指差して、「動いてないぜ」。「うわ。壊れた!」。最も恐れていたことが現実になった。編集長は私をにらみ、その顔に恐怖が走った。だが、機械をチェックすると、ちゃんと動いているようだった。なので、ブラックモアにおそるおそる「動いてます」と言うと、「言ってみただけだ」。それがインタビューの始まりだった。すると、噂とは裏腹に、彼はとんでもないナイスガイだということが、すぐに判ってきた。目の前で手品までやって見せてくれたのだ。2時間後、ホテルの人が「そろそろ閉めます」と言ってきたので、私たちはリッチーに心からの感謝を述べた。「話を聞いてくれて有難う」。マスコミ関係者の悪夢はそう言った。
今回のディープ・パープルはこれまでとどう違いますか?
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音楽的には、ボーカリストが前ほど酒を飲まなくなった (笑)。いや、真面目な話、歳をとるほど、メロディが気になってくるんだ。心に残るいい曲を作ろう、面白いコード進行にしようって頑張ったよ。興奮した。
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新しいボーカルのジョー・リン・ターナーは、素晴らしいメロディも作曲できる。ヘヴィなリフにあまり頼らなくてもよくなった。20歳の頃は、曲の構成なんてどうでもよくて、ただとにかくノイジーに、とにかく速く、とにかくデカい音で弾きたいだけだったんだがな。
ギタリストとして、以前との違いは何ですか? 「King of Dreams」のソロは、以前には見られなかったエキゾチックな色合いがありますが。
- あのソロじゃ、それなりの雰囲気を醸し出そうとしたんだ。無意味な速弾きの練習とは訳が違う。だから、スカスカだろ。ボーカルのメロディの延長上で、あの曲に結びつくものを表現しようとした。週末に楽器屋で仕入れてきました、みたいな技をひけらかすつもりはなかった。
ソロは前もって考えておくんですか?
- 俺の演奏って、すべて衝動的なもんなんだ。「すごいや。もういっぺんやってくれよ」って言われても無理なんだよ。ただ一つ頭に入れてるのは、「Highway Star」のソロだけだ。あれは気に入ってる。
ジョン・ロードは旋律を弾くよりも、サウンドの雰囲気を作ってますよね。
- ジョンは俺のやりそうなことを見て、それを広げてくれる。奴は人をリードするタイプじゃない。人をフォローするタイプなんだ。
だから付合いが長続きしてるんですか?
- その通り。お互いツノを突き合わせてたら、そうはいかない。
ジョンとの出会いを教えて下さい。
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最初に会ったのは1968年、ドイツのハンブルグのゲイ・バーでだ (正確には服装倒錯バー)。当時、あんなオルガンが弾けるのは、ほんの少ししかいなかった。音楽の趣味が同じで、ヴァニラ・ファッジが俺たちのヒーローだった。奴らはロンドンのスピークイージーで演奏してて、クラプトンとかザ・ビートルズとかも含めて、流行の最先端な奴らがみんな集まってたな。
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1960年代末のロンドンはジミ・ヘンドリックスの話題で持ちきりだったってことになってるようだが、それは正しくない。話題だったのは、ヴァニラ・ファッジだ。ベースのティム・ボガートなんか驚異的で、時代のずっと先を行ってるバンドだった。それで、俺たち (ディープ・パープル) は最初、ヴァニラ・ファッジを目指した。だが、ヴォーカルのイアンが「エドガー・ウィンターみたいに叫びたい」って言い出して、俺たちはエドガー・ウィンター入りのヴァニラ・ファッジになったってわけだ。
1970年、「Concerto for Group and Orchestra」の後からより攻撃的な方向になって、「In Rock」はそれ以降のパープルの青写真になりましたよね。
- オーケストラなんかとやるのに、うんざりしたんだ。「In Rock」は、バンドにあったクラシック的な性格に歯向かう、俺なりのやり方だった。イアン・ギランとロジャーと俺は、ハード・ロック・バンドにしたかった。ただロックンロールがやりたかったんだよ。オーケストラは退屈だ。ロイヤル・アルバート・ホールで、観客は腕を組んで、ただ座ってる。俺たちの横じゃバイオリニストが、こっちのソロの度にじっと耳を傾けてる。何の刺激もない。
「In Rock」からビブラート・バー (トレモロ・バーともいう) を多用するようになりましたね。
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そうだな。フィルモア・イーストでジェイムズ・コットン・ブルース・バンドを見た時、ギタリストがビブラート・バーを使って、驚くようなサウンドを作り出してた。それからだ。ジミ・ヘンドリックスからも影響を受けた。
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すっかりハマったよ。1/4インチのバーを作ってもらったこともある。スナップは普通にやれるようにしときたかったんでね。修理屋がけげんそうに「こんなんで何するんだ?」って聞いてきた。結局、1/2インチ幅の鉄板から、巨大なバーを作ってくれた。「ほらよ。壊したとしても、俺に言ってくるなよ」だとさ。
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3週間後にまた店に行ったら、そいつが「うわ、まさか」。「やっちまったよ」。バーを持ってどんなふうにギターを振り回したか、どんなふうに床に投げつけて足で踏んづけて、どんなふうに両手でバーを引きはがしたか、こと細かに説明してやった。あんまり嬉しそうじゃなかったな。奴は潔癖症だったんじゃないかな。
「Hard Lovin' Man」の最後に、普通じゃないノイズがガンガン入ってますよね。スタジオの中でギターを振り回したんですか。
- 憶えてる限りじゃ、ギターをコントロール・ルームのドアに何度も叩きつけた。エンジニアは俺を変な顔で見てた。そいつもさっきの修理屋と同じで、あんまり嬉しそうじゃなかったな。古くさいタイプのエンジニアだったんだろうな。
ロック式のトレモロを使ったことはありますか。
- いや。もうバーは使わない。誰もが使うようになりすぎた。
「In Rock」と「Fireball」の間に、ギブソンからストラトに替えましたよね。演奏スタイルも変わりましたか。
- 難しかったな。ギブソンのほうが弦から弦へ流れるように弾くのが楽なんだよ。フェンダーは弦のテンションが強くて、ちょっと頑張らないといけない。恐ろしく時間がかかった。だが、フェンダーのサウンド、特にワウワウと組み合わせた時のサウンドに取り憑かれちまったんだ。
「Fireball」や「Machine Head」では、ブルースやファンクの気配を感じます。ジミ・ヘンドリックスの影響ですか。
- 彼には感銘を受けた。演奏にじゃなくて、態度にだ。大した演奏家ではないが、それ以外はすべて素晴らしい。歩きかたからして恰好いい。しかし、ギターの演奏はいつも何かちょっと変だ。彼からインスピレーションは得たが、自分にとってはやはりウェス・モンゴメリーだ。あの頃はオールマン・ブラザース・バンドにもハマってたよ。
スティーヴィー・レイ・ヴォーンをどう思いますか。
- そう来ると思ったよ。彼の死は全く悲しいことだった。しかし、バディ・ガイ、アルバート・コリンズ、ピーター・グリーン、ミック・テイラーとかいるのに、なぜ彼ばかりが持てはやされるのか、俺には驚きだ。ジョニー・ウィンターなんか、世界最高のブルース・ギタリストの一人なのに、評価が低すぎる。彼のビブラートは神技だ。スティーヴィー・レイ・ヴォーンはやたら熱いからウケたんじゃないかな。大したことは何もやってない。
その独特のフィンガー・ビブラートは、どうやって身につけたんですか。
- 最初の頃は、フィンガー・ビブラートは全くやってなかった。元々は「速弾き」ギタリストだったからな。それが、エリック・クラプトンを聴いて、奴に言ったんだ。「変わったスタイルだな。そんなビブラートを弾くのか」。バカ丸出しの質問だよな。だが、奴は快く答えてくれた。ビブラートをやり始めてから、ちゃんと身につくまで、2〜3年はかかったかな。それで、1968年か69年頃から、急に目につくようになった訳だ。
リズムを刻む時はピックを使わないこともあるようですね。
- 面倒くさがりなんだよ。ジェフ・ベックだってそうだろ。ピックが見当たらない時は、指で弾いてる。「Smoke on the Water」みたいな、あんな簡単なリフでも、たいていの人はコードと同じように、ダウンストロークで弾いてる。俺はあのリフをつまんで弾くんだ。全然違う。そうやって、第5音より先に第1音を弾くんだ (この部分、意訳)。
「Smoke on the Water」は、なぜ定番になったんでしょう。ロックにおける「ベートーベンの運命」ですよね。
- 簡単だからだ。それが鍵だ。今でも楽器屋で誰もが弾いてる。(ザ・フーの) 「I Can't Explain」と「My Generation」を聴いて、思ったんだ。あんなんでピート・タウンゼントがお茶を濁していられるんなら、俺だって構わないよな。あんな簡単なのでもいいんだって、勇気づけられたよ。
トミー・ボーリンをどう思いますか。
- ビリー・コブハムの「Spectrum」で初めて聴いた時、「これは誰だ?」って思った。その後、TVで見て「エルビス・プレスリーみたいだ。彼はビッグになるぞ」って感じた。パープルに彼が入るって聞いた時には、大したことだなって思ったよ。彼はいつもとても謙虚なんだ。ハリウッドの自分の家にいつも誘ってくれてた。それで訪ねてったら、誰もいないんだ。家具も何もない。10分くらいして、ようやく彼が現れて、ギターを見せてくれた。そしたら、弦が汚れ放題でホコリが数ミリは付いてて、もう4年は張り替えてなさそうでね。「いつ弦を替えた?」って聞いたら、真顔で「え、替えたほうがいいかな」だと。
レインボーでは少しクラシック寄りにシフトしましたよね。
- 何がやりたいのか、自分でも判ってなかったんだ。ブルースはやれることが限られてる。B.B.キングのことはそれなりに尊敬してたが、3ノートしか弾けないんじゃなぁ、っていつも思ってた。逆に、クラシックは決まりが厳しすぎる。つまり、その2つの間、未開の場所をうろうろしてたんだ。
本物のクラシックをやってみようって思ったことはありますか。
- 1520年頃の音楽が一番好きなんで、その当時に戻ってみたいね。ドイツの知合いが、4人で本物の中世音楽をやってる。ぜひ奴らとやってみたいんだが、まだうまくいってない。もっとも、俺はクラシックをやれるほどテクニックがない。きっちり演奏しないといけないが、俺は即興が好きだから、無理だしな。
「Rainbows Rising」に入っている「Stargazer」は、クラシックの影響が強いですよね。
- いい曲だろ。チェロで作曲したんだ。1975年から78年まで、ギターへの興味を完全になくしてた。他のギタリストの演奏を聞いて、自分の演奏にうんざりしてたんだ。俺の憧れはチェロのジャクリーヌ・デュ・プレ (クラシックの天才的なチェロ奏者) だったんで、それでチェロを始めてみた。
チェロでレコーディングしたことはありますか。
- あるよ。バッキングでちょっとだけな。どの曲だったかは忘れた。だが、チェロの場合、自分の全てをチェロに捧げないといけない。それが判ったんで、結局、ギターに戻ってきて、で、音量をちょっとだけデカくした。
チェロで学んだことをギターに応用したりしましたか。
- いや、ないな。チェロは物悲しい楽器なんだ。だが、当時の俺にとっちゃ、正しい選択だった。女にふられて、落ち込んでたんだ。
イングヴェイ・マルムスティーンをどう思いますか。あなたから影響を受けたとよく言ってますが。
- 彼は俺にはいつもとても愛想がいい。なので彼とはすごくうまくいってる。けれども、彼のことは、つまり演奏とか服装とか、よく理解できないんだ。動作も何だかもったいぶってるよな。普通に見ると「こいつ、ただのアホだな」って思うだろうけど、演奏を聴けば「アホどころか、奴は自分が何やってるか判ってんだ」。とにかく、彼はもう少し落ち着いたほうがいいよ。パガニーニじゃあるまいし。本人はそう信じてるようだけど。ギターの弦1本だけ残して他が全て切れちまったとして、それでもその1弦で演奏しきったら、その時には感銘を受けるかもな。まぁ、3〜4年の内には何かデカいことをやるだろう。
タッピング (日本ではライトハンド奏法ともいう) をどう思いますか。
- タッピングを最初に見たのはハーヴィ・マンデルの演奏で、1968年のウィスキー・ア・ゴーゴーでだ。何やってんだ?と思った。笑っちまったよ。ジミ・ヘンドリックスもそこにいたし、ジム・モリスン (ザ・ドアーズのリーダー。後に28歳で死亡) なんか騒いでつまみ出されてた。明らかにエディ・ヴァン・ヘイレンは、あのへんからちょっとばかり貰ってきてるよな。
エディ・ヴァン・ヘイレンをどう思いますか。
- その時の気分による。この15年間で最も影響力のでかいギタリストなのは間違いない。誰もが真似してる。だが、俺は彼の作曲とキーボードのほうに感心してるんだ。彼は人々の記憶に残るよ。第二のコール・ポーター (ミュージカルや映画のスタンダードナンバーを数多く作った作曲家) としてな。
あなた自身、ギター・ヒーローとしての立場をどう思いますか。
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俺がそんな立場にいるなんて、ほんと、おかしいよ。最初にアメリカに行った時、「アメリカにはすごいギタリストがあんなにいるのに、なんでアメリカに行くんだ?」、そう思った。俺はスピーディー・ウエスト (スチールギターの名手) とかジミー・ブライアント (カントリーの名手) とかを聴いて育ったんだ。13歳の頃、あんな素晴らしい奴らがいるなんて、信じられなかった。「アメリカなんか行ったりしたら、ぶっ殺されちまう」、そう思ってたんだ。
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「Hush」がヒットしてから、全てが変わったな。「すごいギターを弾くじゃないか」、そう言ってもらえるようになった。だが、「ナッシュビルには俺をボコボコにするような奴らがいるのに、なんでそんなこと言うんだ」、そう返してた。今でもそうだ。
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ジェフ・ベックから聞いた話だ。彼がナッシュビルにレコーディングに行った時、スタジオにいたら、床を掃いてた掃除夫が「ちっとギター借りていいかい」って聞いてきたんで、「いいよ」って答えた。その男が弾き始めた途端、もうジェフはとことん打ちのめされちまったんだそうだ。そういうとんでもない奴らがナッシュビルから外に出ないでいてくれてるのは、神に感謝しないといけない。
サウンドへのアプローチは何か変わりましたか。マルチエフェクトの機材とか考えたことはありますか。
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俺は、自分がジェフ・ベックのレベルにいるなんて、思ってもいない。ただ、彼から、ギターを弾いてるよりも車をいじってるほうが好きだ、って聞くと、その時は俺も同じだなって思う。人生は楽しまなきゃな。ギターを持ったら、デカい音のアンプにプラグを突っ込む、ただそれだけだ。20歳だったら、ひょっとしたら機材の流行とか、気になるかも知れない。だが、45歳の人間はそうじゃない。サッカー・シューズを履けばスイッチがオンになるし、ルネッサンス時代の音楽も聞くし、今はそういうのに心が動かされるね。
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新しいギタリストがどんどん出てきて、全部は判らないくらいだ。だが、どれも同じに聞こえるってのは判るだろ。さらに加速したエディ・ヴァン・ヘイレンみたいなんだ。
ホーム・スタジオはお持ちですか。
- いや。俺には宝の持ち腐れだ。今は誰もがホーム・スタジオを持ってる。俺は、きちんとレコーディングしながら、その場の思いつきで曲を作っていきたいんだ。自分の直感を信じてるんだよ。
将来はどう考えてますか。
- ルネッサンス時代の音楽にハマってる。だが、ハードロックを弾くのも、まだ大好きだ。洗練されてて主張のあるものならな。近頃のありがちなバンドのように、ただステージでバカみたいに振る舞うつもりはない。今は二番煎じの音楽ばっかりで、どうも落ち着かないんだ。クリーム、プロコル・ハルム、ジェスロ・タル、(ジミ・ヘンドリックスと) ジ・エクスペリエンス、ああいう本当に進歩的なバンドは、どこに行っちまったんだ。俺は俺でやってけるだろうけれども、そういう状況と折り合いを付けてかないといけない。
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