ラリー・ハートキー、ベースアンプ作りを語る (4/4)
「For Bass Players Only」という個人サイトの2010年12月の記事より。Hartkeの創業者ラリー・ハートキーが、ベースアンプを作るようになったきっかけなどを語っている。
→ Larry Hartke Exclusive Interview
- 1984年、パートナーのロンはマイルス・デイヴィスのライブでもスタジオでもエンジニアを担当していて、俺たちはニューヨークのジャズ・シーンのど真ん中にいたんだ。マーカス・ミラー、ダリル・ジョーンズ、ジャコ・パストリアス、そうそうたるミュージシャン達がいた。俺たちはジャコのロード・マネージャーから810 Ampegのキャビネットをもらって、ベース用スピーカーを組み込んだ。1台しか作らなかったが、大勢のミュージシャンが使ってくれたよ。ジャコも、それを試したら、すぐ飛びついてくれた。アルミ・コーンの鮮明で透明な低音のおかげだ。ジャコはどのライブでもそのキャビネットを使うようになって、評判が広まり始め、誰もがそのベース・サウンドを欲しがった。で、すごく重いキャビネットを持って回るのが嫌になってきたんで、Hartke 410を作ったんだ。運びやすいようにね。同時に、レスポンスも改良した。410は売れたねぇ。ちなみに、最初のHartke/Jaco 810は、ニューヨーク48番街にあるHartkeベースラウンジに飾ってある。ジャコは偉大な才能だった。偉大な人物で、友達だった。Hartke社を0から時速100キロまで加速してくれたんだ。
ちなみに、ジャコ・パストリアスはジャズ/フュージョン界の不世出の天才ベーシストで、彼の前と後でエレクトリック・ベースは違う楽器になった。ギターならジミ・ヘンドリックス、ベースならジャコ・パストリアス。早死にしたのも一緒だし。
→ Wikipedia「ジャコ・パストリアス」 ... なお、この中にはHartke社の名前は出てこない。
最近の記事
- 2023/7/29 - ロバート・フリップ、イーノやボウイやクリムゾンを語る (1/4)
- 2023/1/22 - ジェフ・ベックを語る
- 2019/9/21 - トーマス・B・W・ベイリー、日本のインディー系レコード店を語る (1)
- 2019/9/13 - ジョン・ポール・ジョーンズ、ジョン・ボーナムを語る
- 2019/4/27 - ラルフ・ヒュッター、過去をふり返る (1/3)
- 2018/8/2 - パトリック・オハーン、フランク・ザッパなどを語る (1/4)
- 2018/5/23 - トニー・ヴィスコンティ、T・レックス「Electric Warrior」を語る (キャリアを語る (1))
- 2018/4/16 - ドゥイージル・ザッパ、アラン・ホールズワースを語る (1/2)
- 2018/1/11 - デイヴ・グロール、ジミー・ペイジ&ロバート・プラントと語る (1/7)
- 2018/1/7 - アラン・ホールズワース、ファンの質問に答える (1/4)
人気の記事
- 2016/1/26 - トニー・ヴィスコンティ、デイヴィッド・ボウイを語る
- 2015/12/1 - 色んな関係者、ジェフ・ポーカロを語る (1/3)
- 2014/9/8 - ロバート・フリップ、「キング・クリムゾンの掟」を語る
- 2013/9/9 - コージー・パウエル、デビュー当時を語る (自らのキャリアを語る (1/12))
- 2013/2/9 - ラルフ・ヒュッター、クラフトワークの音楽を語る (1/4)
- 2012/7/4 - エドワード・ヴァン・ヘイレン、スティーヴ・ルカサーと語る (1/14)
- 2012/6/1 - スコット・ハルピン、キース・ムーン代役事件を語る (1/2)
- 2012/5/11 - テリー・ボジオ、エイドリアン・ブリューを語る
- 2012/3/31 - 記者、リッチー・ブラックモアを語る
- 2012/1/15 - スティーヴ・ヴァイ、ヴィニー・カリウタを語る