コージー・パウエル、フォースフィールドやシンデレラを語る (自らのキャリアを語る (9/12))

21 October 2013  |  Tags: Cozy Powell, Cinderella, Gary Moore

1998年に不慮の事故で亡くなってしまったコージー・パウエルだけれども、これは1996年のインタビューとのこと。Joe Geesinってロック評論家の個人サイトの記事より。かなり貴重。今回はフォースフィールドやシンデレラ、それにゲイリー・ムーア・バンドの話。

→ Joe Geesin - Freelance Music Journalist > Cozy Powell Interview


フォースフィールドのきっかけは何だったんですか。

  • 大したアルバムだろ。レイ・フェンウィックが、俺の名前を使わせてくれないかって、電話してきたんだ。後になって思うと、コージー・パウエルズ・フォースフィールドなんて宣伝されてたりするんで、もっと俺がコントロールすべきだったんだろうな。

  • 一緒にやったのは、グレアム・ボネットだろ、ヤン・アッカーマンだろ。ヤンのことは、フォーカス (オランダのプログレッシブ・ロック・バンド。最盛期は1970年代) の頃から、ずっと憧れてたんだ。レイが、ヤンも加わるって言ってきて、すげえやって思った。一緒にやるのは結局はちょっと大変だったんだが、何曲か素晴らしいトラックを演奏できた。彼は天才だ。

  • トニー・マーティンは、ブラック・サバスのアルバム「Headless Cross」の時に会ってた。それで、俺からフォースフィールドで歌ってくれって頼んだんだ。

シンデレラはどうだったんですか。

  • 唐突にいきなり電話を受けたんだよ。以前はジェントル・ジャイアントにいて、今はアメリカでレコード会社をやってるって奴からだ (デレク・シャルマンのこと)。問題が山積みなんです、アンディ・ジョンズがプロデュースしてくれることになりました、って言ってさ。別に悪夢みたいな仕事も引き受けてたんだが、ま、とにかく奴が言うには、ドラマーを18人も試したんです、あなたならやれるでしょう、アルバムを手伝ってくれませんか、って。

  • それがシンデレラだった。奴らのことはよく知らなかったが、何曲か聴かせてもらって、それでOKした。フィラデルフィアまで行って、録音をやり始めて、最初の何日かはうまく行った。それが、アンディは大量のビールやドラッグを持ってこさせて、あげくに (つまり、へろへろな状態で)、俺に演奏のことをあれこれ指示し始めるんだ。「待ってくれよ。ドラマーは俺だろ」、そんな感じだ。結局は実質的にアルバム全体で演奏したが、何だか歯を抜かれるみたいに、キツかった。もう二度とごめんだね。

  • 同じ年 (1988年) にドン・エイリーの「K2」も手伝った。奴はゲイリー・ムーアと仕事してたし、二人には俺自身のプロジェクトを手伝ってもらったし、三人お互いに色んなセッションで一緒にやってたんだ。ドンはサイモン・フィリップスにも叩いて欲しがってたな。

  • 一方で、ゲイリー・ムーアは俺に、次のアルバム「After the War」を手伝ってくれって言ってきた。奴はツアーの契約もしてた。奴のバンドには有名なドラマーがいたし (イアン・ペイスのこと)、ツアーのリハーサルじゃ泣きそうになったよ。ドラム・マシンに合わせてくれとか、昔のアルバムの演奏に一音一音すべて合わせてくれとか言ってくるんだ。2時間のライブのためには十分すぎる感じだった。

  • 5週間のリハーサルの後、プロダクション・リハーサルのセッティングをしたが、俺のドラムスは第三次世界大戦みたいな音だし (意味不明)、ゲイリーはギターの音が気に入らないし、その夜に突然、俺はツアーから外れることになった。急きょクリス・スレイドが呼ばれて、奴は3日間でツアーに間に合わせたんだ。ジョン・ハイズマンに地獄に連れてかれて以来 (コラシアムIIのこと)、奴はドラマーには一言あるようになったんだろうな。


ヤン・アッカーマンにコージーが憧れてたとは。知らなかった。この人、センスも抜群、テクニックも驚異的、中世音楽を弾いても絶品なんだけど、今はジャズ方面に行っちゃったからなぁ。

アンディ・ジョンズについては、下の関連の記事を見て頂きたい。

次回は、ブライアン・メイやブラック・サバスの話。

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