トニー・アイオミ、エドワード・ヴァン・ヘイレンと語る (1/12)

06 June 2014  |  Tags: Tony Iommi, Edward Van Halen

「Guitar World」誌サイトの2013年9月の記事より。元は同誌の2010年、発刊30周年記念の特別企画だそうな。面白い取り合わせだが、予定調和みたいなところも。

→ Guitar World | Tony Iommi and Eddie Van Halen Discuss Their Careers, Friendship and the Past Three Decades of Our Favorite Instrument


前書きより

  • エディ:俺たちはトレンドを作り出したわけだが、あの頃、そんなことはちっとも頭になかった。ヴァン・ヘイレンがスタートした時、栄光への道なんてもんはなかった。俺たちは、ただやりたい音楽をやってただけだ。ロックンロールってのは、そういう単純なもんだろ。

  • トニー:今じゃあらゆる音楽がパターン化してる。俺たちが始めた頃は、パターンなんか何もなかった。音楽が好きだから、何かを作りたかったから、音楽をやってたんだ。

ブラック・サバスは全てのメタル・バンドの元祖ですよね。

  • トニー:成功したバンドの誰もが「あなたがいなかったら、今の私はなかったです」なんて言ってきたら、そりゃおかしいだろ。エディだって、そう感じてるはずだ。ジョー・サトリアーニみたいな奴ら、スティーヴ・ヴァイみたいな奴ら、みんな彼から影響を受けてるわけだが。

速弾きもそうですけど、ハリウッドで一旗あげようってロック・バンドは、どれもヴァン・ヘイレンの真似ですよね。

  • エディ:ハリウッドのクラブに出てるヘア・メタルな連中は、一番肝心なことを忘れてるよ。奴らは結婚式とかバル・ミツバ (ユダヤ教の成人式) とかポルカとか、そういうので演奏したことなんかないだろ。俺たちはある。父は毎週日曜の夜、コンチネンタル・クラブで演奏してて、アレックスと俺も一緒に座ってた。サン・フェルナンド (ロサンゼルス郊外) の外れにあるアルパイン・ハウスってところじゃ、ドイツの民族衣装を着て、ポルカをやってたよ。どの曲も必ず I-IV-V なんだ。変てこなカントリーみたいだった。アメリカに渡ってくる船の上でも、兄弟で演奏してたしな。ピアノを弾きながら、お子様ショーみたいなのをやってた。音楽が俺たち一家を救ってくれたんだ。アメリカに着いた時、一家には50ドルとピアノしかなかった。そして、一部屋で生活して、週末ごとにショーで演奏してた。

続く ›



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