ジョニー・マー、音楽の趣味などを語る (1/5)

18 August 2017  |  Tags: Johnny Marr, The Smiths

去年、ジョニー・マーは自伝「Set the Boy Free」を出版して、そのプロモーションで色々なインタビューに応じている。その内の一つで、「Esquire」誌サイトの2016年11月の記事より。

→ Esquire | Johnny Marr Is a Fan First and a Musician Second


(取材した記者の前書き) ジョニー・マーとは、トライベッカ (ニューヨークのお洒落な一角) でランチを一緒にした。彼は菜食主義者で、豆腐をトッピングしたチリライスを食べていた。それだけでなく、彼は禁酒主義者でもあることが判った。およそロックンロールらしからぬ緑茶とクランベリー・ソーダを注文していたのだ。

  • 別に何かに反発してライフスタイルを選んでるわけじゃない。この歳 (53歳) になってもロックンロールなライフスタイルって、なんかダサい感じがし始めたんだ。流行遅れだし、進歩がないし。だから、違う方向を選んだだけだ。言い方を変えようか。もしも酒やドラッグがミュージシャンとしての幅を広げてくれるなら、今すぐにでも始める。だけど、多くの人が判ってるように、実際には「ロー・リターン」でしかないだろ (正確には、収穫逓減の法則って経済学用語を使っていて、費用をかけるほど費用対効果が悪くなっていくこと) 。

何よりも音楽のファンであって、沢山の音楽を聴いてますよね。ロック関係の伝記なんかもけっこう読んでたりしますか。

  • ザ・スミスを始めたばかりの頃、ツアーの時にはストーンズの本ばかり何冊も読んでたよ。ジェイムズ・ブラウンについての大した本もあったな。そういうのから色んな真実が見えてきたし、わくわくしたりもした。実際には、戻ってスタジオにこもる前に、音楽カルチャーの一端を知っときたかったってことだけど。

最初の頃にストーンズの最初のマネージャー、アンドリュー・ルーグ・オールダムのことを知ったのが、天の啓示みたいなものだったようですね。自分の目指すところを絞ってくれたというか、何もないところから、つまり1980年代初めのマンチェスターで、自分のやりたいことをやろうとしていた時に、その道筋を示してくれたというか。

  • 彼が自伝を出すより前だったんで、図書館で貴重なインタビューを見つけたりして、断片的なものばかりだったけどね。そういうのから判ってきたもう一つは、自分の憧れのヒーローたちは皆、音楽のファンだったってことなんだ。

  • 若いミュージシャンがもうベテラン同然の完成された姿でデビューしてくるのを見てて、ずっと興味深かった。スタジオ作業は素人かも知れないし、ビジネスも素人かも知れない。だけど、例えばボブ・マーリーが「Catch a Fire」(デビュー盤) を作った時、彼はすでにハーモニーをジ・インプレッションズ (*) みたいに聞かせることを知ってたし、ステレオで音像をパンニングするやり方も知ってた。つまり、まだ若くて素人に見えても、もうベテランだったんだ。

  • それはただファンとして熱中してるってだけかも知れない。だけど、いつもファンの視点で考えるってのは、大切なことなんだ。本にも書いたけど、ブルース・スプリングスティーンに会った時、彼は自分の哲学として、「コンサート・チケットは一枚一枚がファンとの契約書だ」って言ってた。ファンであるってのがどういうことか、ちゃんと判ってる人だな、って思ったよ。それは彼自身がファンだからだ。例えばポール・マッカートニーだって、機会さえあれば一日中ずっとでもバディ・ホリーのことを喋ってると思う。

  • 人は何かに突き動かされて、ビッグになりたいって思ったりする。持って生まれたものもあるかも知れないけど、(ファンとして) 何かに熱中してきた結果もあると思う。そうやって熱中してるからこそ、ベテランになれるんだ。


「好きこそ物の上手なれ」

この自伝は翻訳が早くも出ることになったそうで、この記事が予告編みたいになって少しは販売促進につながるかなってことで、紹介することにした。

→ Amazon | ジョニー・マー自伝 ザ・スミスとギターと僕の音楽

前にも同じことを書いたけど、別のインタビューじゃ、24歳までに大成功しちゃって後は遊んで暮らす人生ってどんなですか、なんてむちゃくちゃなことを聞かれてたりする (笑)。言っちゃ何だが、ザ・スミスの初期の頃はまだ少年の顔だったのが、今は良い顔になってるな。

(*) カーティス・メイフィールドのR&Bバンド。特に「People Get Ready」で有名。

続く ›



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