ジョニー・マー、音楽の趣味などを語る (2/5)

20 August 2017  |  Tags: Johnny Marr, The Smiths

去年、ジョニー・マーは自伝「Set the Boy Free」を出版して、そのプロモーションで色々なインタビューに応じている。その内の一つで、「Esquire」誌サイトの2016年11月の記事より。

→ Esquire | Johnny Marr Is a Fan First and a Musician Second


ザ・スミスやあなた自身を聴き始めた若者に何か道筋を示そうっていうのも、本を書いた動機の一部だったりしますか。

  • いや、全然。俺の代理人は、半分くらい読んだところで、「何だかハンドブックみたいですね」って言ってた。完璧主義だからかも知れないけど、それは自分の性格だ。なので、そう思われるのは嬉しいね。

ザ・スミスの最初のアメリカ・ツアーについて、教えて下さい。ニューヨークの「ダンステリア」ってクラブで演奏したんですよね。

  • それがアメリカに行った最初だった。1983年の大晦日のことだ。マドンナもそこで同じ晩にショーをしてたって聞いたけど、どうも裏付けがないんで、本には書かなかった。一晩中ずっとDJのそばにへばり付いてたよ。本当に楽しかった。下宿してた時にDJの奴と同居してて、クラブのことを初めてあれこれ教わって、すごく面白かったんだ。刺激的だった。

  • だけど、当時から自分はギター・バンドを作るつもりでいた。マンチェスターの「ハシエンダ」ってクラブ (マッドチェスターの聖地) に出入りしてた頃からだ。本当に何もないただの空間で、普段は10人ちょっと、水曜の夜には25人くらいいたかな。ニューヨーク発の音楽やその後イギリスのインディーズになっていく音楽がごちゃ混ぜになってて、本当に面白かった。ダンス・ミュージックあり、ピート・シェリー (バズコックス) の「Homosapien」の12弦アコースティックギター・バージョンあり、ものすごい影響を受けたよ。

  • もう一つの影響がテクノ (エレクトロ) だね。自分のバンドをテクノにしてもいいって思ったほどだ。

そんなこと、誰もやってませんでしたよね。

  • 超楽天家だからな。だけど、決定的に重要だったのは、俺を心底から信じきってくれる3人がいたおかげだ。ジョー・モスは、ジャック・ニコルソンみたいな風貌だけど、マネージャーになってくれた。彼女だったアンジー (今の奥さん) は、すごくすごく賢い。モリッシーは、会った瞬間から、俺を信じてくれた。この素晴らしい3人がいなかったら、自分の楽天主義もハイテンションさ (hyperactive) も、何の役にも立たなかった。「君ならやれる、あなたならやれる、お前ならやれる」、そう繰り返し言い続けてくれたおかげだ。人は誰でも独りじゃ何もできない。仲間が必要なんだ。

バーナード・サムナーとのエレクトロニックの方向性は、実はザ・スミス以前から可能性があったってことかな。

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