エディ・ジョブスン、生い立ちを語る (2/2)
なぜか英国サセックス大学のウェブにある記事で、たぶん学生個人のページなので、いつか消されてしまうかも。元は韓国「Art Rock Magazine」の記事だそうで (なぜ英語?)、1995年10月のインタビューとのこと。今回はロックをやるようになったいきさつ。
→ Exclusive Interview with: Eddie "Genius" Jobson
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ロックをやりたいって言ったら、両親は反対したよ。だが、こんな事情だったんだ。
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私は16歳で、王立音楽院に入学する要件を、すでに満たしてた。バイオリン、ピアノ、音楽理論、一通り全てだ。自分で個人テストを受けて、認定を受けてた。なので、入学を申請したら、16歳じゃ若すぎるって言われたんだ。基本は18歳、17歳なら例外的に認めないこともない。だが、16歳はだめだってね。だが、当時の学校にそれ以上いても意味がない、やりたいことを早くやりたい、そう思ってたんで、何とか1年を潰さないといけなくなった。
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どうするのがよさそうか、王立音楽院に聞いてみたら、レコード屋で働いてみるのはどうか、って言ってきた。ありえないよ。つまらなすぎる。その頃、バレー教室で演奏して、ちょっと小遣いを稼いでた。他にも、父のやってた劇場で、役者がピアノを弾くシーンの時、舞台裏でピアノを弾いたりしてて、楽しかった。同じ頃、シンセサイザーが登場して、それも面白そうだった。1971年のVCS3が、イギリスで売り出された最初のシンセサイザーだ。「The Dark Side of the Moon」で使われてるし、ブライアン・イーノは今でも使ってるよね。ちなみに、キース・エマーソンは巨大なムーグをうまく手に入れてたけど。
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結局、私はニューキャッスルに移った。故郷から一番近い大都市だ。そして、23・4歳の大学院生たちと付き合うようになった。一緒に寝起きして、そして、ファット・グラップル (Fat Grapple) ってグループを作ったんだ。詩の朗読もあるしスライド上映もあるし、マルチメディアって言ってもいいな。で、ロック・バンドでもある。オリジナルもやれば、ロックンロールやフェアポート・コンヴェンションとか他のバンドのコピーもやってた。ピンク・フロイドみたいなサウンド・エフェクトとかもね。メンバーはみんな、学校の成績も良くて、知的だった。なので、私の両親は、まぁ、王立音楽院に入るまでの1年間だけだろうしってことで、しぶしぶ許してくれたんだ。だが、17歳になったら、私はカーヴド・エアに入ってしまった。王立音楽院には入らないってバレたわけだが、カーヴド・エアはすごく有名なバンドだったんで、認めてもらえた。
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