キース・ムーン、ザ・フー加入の経緯などを語る (5/8)

02 January 2015  |  Tags: Keith Moon, The Who

「DRUM! Magazine」誌サイトに2013年8月に載ったもの。元は1972年4月の「Melody Maker」紙の記事とのこと。原題からして「Rare Interview」なんてなってて、確かにかなり貴重だろうと思う。

→ DRUM! Magazine | Moon Probe: A Rare Interview with Keith Moon


イギリスでブレークしたのは、「My Generation」のおかげですか。

  • そうだね。「Anyway, Anyhow, Anywhere」はパッとしなかった。アメリカでブレークしたのが何のおかげかは、よく憶えてない。最初にアメリカに行ったのは、「Murray The K Show」ってショーに出るためだった (1967年の春)。劇場を2週間借り切って、毎日ショーを詰め込めるだけ詰め込むんだ。毎日朝11時から少なくとも4回、次の出番がいつか判らないから、劇場を離れるわけにいかない。

  • 俺たちの持ち時間は8分。いつもオーバーしたけど、反応は熱狂的だった。何から何まで叩き壊したからね。だんだん好きにやらせてもらえるようになった。クリームも同じショーに出てたよ。次にアメリカに行ったのは、モンタレーだ (サンフランシスコ郊外) (フェスティバル出演のため)。その後は、キットの考えで、ニューヨークに集中することにした。マーキーと同じやりかたで、ニューヨークを押さえて、硬いファンを掴んで、それから西海岸に進出しようってことで。

借金も抱えてましたか。

  • 山ほどね。贅沢のせいじゃない。ピートと俺は無駄遣いばかりしてたけど。そうじゃなくて、いつも楽器を壊してたからだ。1回のショーで100ポンド稼ぐ。けど、ギターは150ポンド、ドラムスも100ポンドなんだ。借金は最後には3〜4万ポンドか、もっとになってたよ。

そのせいでバンド内が気まずくなったこともありますか。

  • 俺たちはみんな、目標を共有してるって、ちゃんと判ってた。だから、結束は固かった。ゆるぎない自信を持ってたし、バンドの誰を説得することもないし、誰に譲ることもない。その場の怒りで「辞めてやる!」とかわめくことはあってもね。

借金の話に戻りますが。

  • アメリカに行くには、特に恐ろしく金がかかった。イギリスじゃ、だいたい週に200ポンドくらい稼げる。大した金額に聞こえるかも知れないけど、「Murray The K Show」は600ポンドだった。それが、ニューヨークでも最高級、1泊5千ドルのホテルに予約しちまってたんだ。掃除用具入れくらいが似合いなのに、スイーツだぜ。金銭感覚が全くなかったんだな。

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