イアン・アンダーソン、トニー・アイオミを語る

11 May 2013  |  Tags: Ian Anderson, Tony Iommi, Black Sabbath

アンダーソンの一連の記事のおまけ、その1。「DME」っていう個人サイトの2006年8月の記事より。

→ DME - Interview with Ian Anderson (Jethro Tull)


  • トニーのことは、ブラック・サバスが出来る前から知っていた。1968年の後半かな、彼の昔のバンドがジェスロ・タルの前座を務めてくれたんだ。彼自身も、彼のギタースタイルも、格好良かったね。スタジオで一緒にジャム・セッションをやったことがあって、その縁で、俺たちが「The Rolling Stones Rock and Roll Circus」ってテレビ番組に出演することになった時に、手伝ってくれた。俺以外のメンバーはみんな当て振り (実際には弾いてない) で、彼はギターをやってくれたんだ (ジェスロ・タルの初代ギタリストが直前に脱退してしまったため)。そのままメンバーになってくれてもよかったのかも知れないが...

  • 知ってるかどうか判らないが、トニーは工場の事故で指を痛めてる (左利きなので右手で押弦するが、右手の中指と薬指の先がない)。なので、独特な奏法を考え出さざるを得なかった。つまり、例えば6弦全部を使うようなコードはほとんど弾けない。単音のリフとかなら大丈夫だ。俺の書く曲はだいたい、ただのスリーコードなんかよりはもう少し冒険してる。なので、ジェスロ・タルのギタリストとしては、正直なところ、難しかったんだよ。

  • ブラック・サバスはリフ指向のヘヴィメタルを確立したバンドの一つなわけだけれども、その中でトニーは、元から持ってた技術や才能で、すごく効果的な技を作り上げたと思う。まず、クリームとかのギター・リフの王者たちがいた。そして、レッド・ツェッペリンやディープ・パープルがその伝統を引き継いだ。だが、ブラック・サバスは、トニーが痛めた右手でも弾ける範囲のリフと数少ないオープン・コードを最大限に活用することをやったんだ。

  • ジャンゴ・ラインハルトも、たしか指が2本しか使えず、それで独自のスタイルを作り出した。こういう不運が何か独自のスタイルにつながって、誰の追従も許さなくなるってのは時々あるよな。トニーも自分の不具合を、ロックへのユニークな貢献を通して、自らをギター・レジェンドにする道に変えたんだ。


ジャンゴ・ラインハルトは1930〜40年代に活躍したジャズ・ギタリストで、ギターをバンドの脇役から主役に変えた先駆けの一人。スウィング・ジャズとロマ (ジプシーって呼ぶ人もいる) 音楽から、マヌーシュっていう新しい音楽を作り出した。ロック界でも、ジェフ・ベックとかロバート・フリップとか、信奉者が多い。2012/1/25 に紹介したキコ・ルーレイロのインタビューにも、ちょっと名前が出てくる。トニー・アイオミ自身も、17歳の時に工場の事故で指先を切断して、ギターを諦めようと自暴自棄になってたところに、ジャンゴ・ラインハルトのレコードを聴かされて衝撃を受け、改めて奮起したのは有名だ。で、いったんは右利き用ギターで再出発しようとしたけれども、結局は左利き用ギターで戻ってきた。

ところで、アイオミの癌の最新情報は、こんな感じだそうだ。2012/9/4 の記事のその後。「Birmingham Mail」紙サイトの2013年4月の記事より。


  • ブラック・サバスの世界ツアーに出るが、6週間に1度、必ず病院に戻って来ないといけない。リンパ腫の検査と薬物治療を受けるためだ。ツアーの日程も、それが出来るように組んである。本当はもっとライブを増やしたいが、身体が第一なんでね。最新の治療法だそうで、どんな副作用が出るか、まだ判ってないが、試したいって言ったんだ。1回の治療を終えると、もうグッタリして調子が悪くなる。それが1週間から10日も続く。だが、気分は今はいいよ。癌を宣告された時には、もう目の前が真っ暗になったけどな。1/3の確率で癌が再発する恐れがあるが、致命的なものではないだろう、治療で抑えられる、って言われた。今の生活を楽しんでる。本当だ。まだ音楽をやれるなんて幸運だよ。

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